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浜名湖のボート転覆事故について。

浜名湖のボート転覆事故で12歳の西野花菜さんが亡くなったニュースが心に残っています。

報道によると、事故発生からの50分間もの時間に西野花菜さんが行方不明だということに気づいていなかったそうです。

さらに別の報道によると、どのボートにどの生徒が乗ったかという記録も無かったそうです。

そして、教諭の1人は、「(モーターボートが)現場にまた戻ると思ったが波が非常に高く、二次被害を考えてかボートが再び出動しなかった」と話していたそうです。

気象警報が出た場合は訓練が中止になるハズであり、注意報の場合は青年の家と参加団体が協議して対応を決めることになっているハズです。しかし、実際はボート指導の専門家である青年の家の意向が尊重され、判断基準はあいまいなものだったようです。


野球部や陸上部などの運動部の指導者には、「根性を鍛えなければいけない」とか「多少の困難も乗り越えなければいけない」といった強迫観念が見え隠れする事が多いように感じていました。


団体でボートを漕ぐことによって、集団行動の大切さなども重要視されていたのかもしれません。

「甲子園に行くためなら死んでも構わない」とか、「一位になるためなら地獄の特訓も必要」とかといった考えは、一般的な考え方ではありません。


つまり、プロを目指しているわけでもない12才の女の子がボートで死ぬ必要性は無いということです。

この西野花菜さんの親御さんは想っているでしょう。


生徒を殺してまでボートを教える必要性は何なのか?

西野花菜さんが死ぬことと引き換えにボートを漕いだとして、何を得られたのだろうか?



第三者の私でさえ、ボートを漕ぐことと死ぬことを比較すると、リスクとリターンのバランスが取れていないと感じます。


北海道のトムラウシ山での遭難事故でも同じです。



「若者は、ゲームのし過ぎで生きることの大切さを忘れている」という文章を目にした事があります。


では、今回の浜名湖のボート転覆事故における教員や指導者はゲームをし過ぎていた若者と同じレベルということにならないでしょうか?



その程度の人間が、どうして指導者として存在できたのでしょうか?


この人達の採用を決めた採用担当者の責任は追求できないのか?


それならば、なんのための採用担当者なのか?


青年の家の運営を県から委託された「小学館集英社プロダクション」の関係者の心の中はどんな感じなのでしょうか?


「面倒な事になった、死ななければ大問題にならなかったのに!」でしょうか?

それとも、「早く人々の記憶から忘れられて、再開できるように」でしょうか?



こんなことが、西野花菜さんの親御さんの頭の中を回っているのではないでしょうか?



決まりごとがあったのに、守れていない。


そんな人達が指導者だと言う。


生徒には「決まりを守れ」と言う。



西野花菜さんの親御さんにとっては、理不尽さが拭い切れ無いのではないでしょうか?


教員や指導者にとっては、西野花菜さんは他人の子です。


所詮、自分の子ではないのです。


自分たちの子供を同じ目に会わせてみれば、気持ちがわかるでしょう。

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